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もくじ

第一章

冷徹

暗闇の中、隣で寝ている女性に目線を移す。

感情はない。冷めきっている。

寝ている事を確認し、ベットから出て制服に着替える。

『もうそんな時間?』

寂しそうな女性の声がする。

着替える音に目を覚ましたようだ。

女性にそっと寄り添い

『もう行くね』

そう言って、首元へキスをする。

感情はない

“仕事”だ。

バスタオルに身を隠し、カバンから3万円を取出す女性。

高校生には大金だ。

「また、、、会えるかな?」

不安そうに”エサ”を欲しがる子犬の顔。

僕はニッコリ微笑み、無言で”報酬”を受け取る。

抱きついてくる女性に、

「もう行かなきゃ」

そう告げて、着替えを終わらせる。

“次は無い”

そう思ったのか、女性の表情が曇る。

理想と現実の間で、大人の女性を必死に演じながらも、どこか”お客様”はイライラされていた。

僕は足早に部屋を出て駐車していた車に乗り込み、急いでホテルを出る。

“別れ方”には慣れている。

学校近辺の空き地に車を停め、ルームミラーで身嗜みを整える。

たまに首筋あたりにキスマークをつけられる。

僕はそれが本当に嫌いだった。

酒と女性の匂いを消す為に、若干の香水をふって急いで学校へと向かう。

2001年

2001年、世界中で激震が走った。

9.11同時多発テロ。

僕はそのニュースを “悲惨な出来事”として見ていた。

その出来事は、僕自身にも影響を及ぼす。

就職先はすでに決まっていたが、それが原因で採用取消しになってしまった。

グローバル展開していた企業で、日本でも有名な会社だった。

しかしながら、同時多発テロにより海外事業が赤字。

『当面は採用どころではない』

それが理由だった。

高校生に限ってではないが、2001年という年は就職氷河期だったと思う。

仕方はないが、とてもやるせない年だった。

借金

学校では終日寝ていた。

下校まで寝て、授業が終わると1時間かけて車で帰る。

酒が残り過ぎている時は電車もあるが、乗り過ごしが多かった為車通学が多かった。

夕方5時から夜10時まで居酒屋でバイトをし、11時から明方までホストクラブ。

明方から登校時間までは、お客様とアフターで食事かホテル。

コレをほぼ毎日。

若いとは言え流石に身体はキツかった。

お酒の一気飲みで救急車で運ばれる事も。

泥酔状態で登校し、校門に立っていた生徒指導の先生に殴られる事もあった。

それでも辞めなかった。辞められなかった。

父親の借金。その額が大きかった。

よくある”ギャンブルや酒に溺れて”、ではなく、事業に失敗し、膨らんだ借金が原因だった。

自己破産せず、完済する。

それが父の決意だった。

対外的にはそれで良かったかもしれない。

取引先や顧客からは、”後ろ指を刺される”事もなかった。

ただ、そのような大人の事情は、僕自身大人になってからわかるもので、当時はただただ必死だった。

毎日毎日朝早くから夜中まで、父も母も働いていた。だから、僕だけ辞めることはできなかった。

『社会勉強になるから』

たまに身体を気遣う両親にそう言って、働いていた。

我慢

父が完済すると決めてから、家族はバラバラになったと思う。

家と土地を売り、母の実家で暮らし始めた。

父は、母方の祖父による “小言”に耐えられず、ほぼ家にいなかった。

母も、朝から夜中まで仕事。

僕も先述した生活の為、ひとり家にいる妹の”負担”が大きかった。

祖父の口撃だ。

妹は、ストレスで円形脱毛になっていた。

本来は、僕が近くにいて守るべきだが “バイト”を理由に、家にいる事を避けてしまっていた。

それほど家にいる事が僕自身嫌いだった。

いびり、恫喝、ねたみに小言。耐えられなかった。

ただ、祖父からしてみれば、”お見合いで結婚した自分の娘が、大量の借金と共に帰ってきた”。

これだけで怒りと共に文句を言える権利はある。

しかし、僕含め母や父は家にいない。

怒りの矛先、それが毎日、妹だった。

妹をひとりにしていたこと。これは今でも後悔している。

一家団欒

食事も酷かった。

スーパーの惣菜や、カップ麺が主食。

自分で作れば多少なりとも節約はできる。

しかしながら、”時間”が優先だった。

調理と食事に1時間費やすなら、3分の調理と10分の食事。

少しでも台所にいる時間を減らし、祖父と会うキッカケを減らしたかった。

『社会勉強になる』『お金のため』と言いながら、『家にいる時間を少しでも減らしたい』それがホストを続けた本当の理由かもしれない。

当時、スピーディーに食べることができる”手頃なおかず”ベスト3。

シーチキン・魚肉ソーセージ・生卵。

想像してみてほしい。それぞれが”自分の役目”を終え、ひとりで食事をする姿を。

ただただ、切ない。

“家族でご飯を食べる”という事が、全くと言っていいほどなくなってしまった。

“3食顔を合わせてご飯を食べる”

当時の僕の夢だ。

絶対に叶えたい!!!

そう強く誓ったことを覚えている。

第二章

同級生

チャイムが鳴り目が覚める。

ホームルームが終わると、僕は足早に車を停めていた場所へ向かう。

そこには制服を着た女性が待っている。

別のクラスの女子だ。

ホストクラブで働き始めた頃、この女子生徒がたまたま客として来たことがあった。

自身の客を連れ、キャバ嬢として。

そこからの付合いで、学校からの家路が同じ方面ということもあり一緒に帰ることも多かった。

身体の関係はない。

彼女とのエピソードを少し。

僕は夕方6時から居酒屋のバイトに出かける。

居酒屋といっても、カウンター5席と、テーブル席が2つと小さい店。

ただ、病院の院長や事業家、投資家など、少し敷居の高いお店で、ほとんどが常連さんだった。

しかしながら、たまには一見さんもやってくる。

そして、その数人にひとりは、

「おい!兄ちゃん!ココらで可愛い女の子がいる店知らねーか?」

と、酒に呑まれ、急に声と態度がでかくなり、威勢よく話しかけてくる人もいる。

自分を誇示する面倒な客だ。

どの店にもいると思うが、 少し高級な居酒屋だと一段と面倒臭い。

最初は僕も圧倒されていたが、2〜3回出くわせば、対応にも慣れる。

“同級生”に電話し

「”お得意先様”が1名お待ちですが、大丈夫ですか?」

とだけ告げる。

15分くらいすると、制服姿とは”180°違う” 同級生がお店にやってくる。

「こんばんは〜♪」

店に到着するなりその客を褒めまくる。

「スーツ素敵ですね!声もめちゃくちゃタイプです!カラオケ得意ですか?歌ってる声が聞きたい!!」

これでもか!?、というくらい褒められて悪い気はしないのだろう、男性は急いで店を出る支度をする。

“同級生”は僕に目で合図を送り、店を出て行く。

5時間後、その客と同級生が僕の働くホストクラブへやってくる。

“居酒屋で働いていた僕”が目の前にいることにすら気づかないほど、泥酔状態だ。

さらに明け方近くまで僕らに飲まされ、金という金を使わされ、最後は電柱あたりに捨てられる。居酒屋で態度が悪い一見さんの末路はだいたいいつもこうだった。

そんな”連携”をとった同級生は他にも数人いた。

同じ学校ではなかったが、ちょっとした縁で繋がり飲みにもよく行っていた。

水商売でできた繋がりだが、みんな”それぞれの背景”があった。

人生観

話は戻る。

居酒屋での僕の仕事は、主に料理出し、皿洗い、そしてカウンター客への”接客”だ。

その甲斐もあって、僕はかなりの酒を覚えた。

飲み方と、酒の銘柄だ。

しかし、もっと勉強になったことが、「人生観」だと思う。

常連さんが多いこの居酒屋には、様々な”カウンター越しに見える景色”があった。

毎週決まった曜日にやってくる夫婦。

と、思っていたらダブル不倫。

とある大きな病院の院長と事務長。2人でよく病院の経営について話してる。

と、思っていたら実はゲイ同士。

弱々しいおじいちゃんで、孫とよくお店に来る。

と、思っていたら、結構大きな組織のボスとそのお世話係だった。

ただ、共通して言える事は、みんなとにかく優しかった。

「一杯どうや?」

こんな言葉をかけていただき、よくご一緒させてもらった。

バイトがラストの日に至っては、常連さんで、盛大なお別れ会をやってくださったくらいだ。

“95%の日頃の顔”よりも、”5%の人に言えないことを持つ自分”を、しっかり表現する人が多かった気がする。

しかも、その5%を笑顔でさらけだしている。そんな人達との会話はとても楽しかったし、18歳でそのような方達と関わりができたことは、僕にとってはとても刺激的だった。

ただ、そんなバイト先でもひとつだけ嫌な事があった。

オーナー夫婦だ。

普段はめちゃくちゃ優しくて、とても良い人だったのだが、宗教にどっぷり浸かっていた。

お店にお客さんが居ない時や、開店してすぐの時間など、少しでも空いた時間があれば僕に「入信しなさい」と勧誘をしてきた。

僕も断るのに必死だった。

それでもオーナー夫婦は勧誘してくる。

こんなことがあった。

団体客が来ると言われ、予定時間に30人程の老若男女が来店された。

それが、全員信者だった。

とにかく大変だった。

僕は全員に勧誘された。

僕と同じくらいの年齢の人もいて、目をキラキラさせながら、僕を入信させる為の話を始める。

何も関係なければ、一発顔面ボーン!

とやっている所だが、お店だし、お客様だし、、、。

手は出さず、耐えた。ひたすら耐えた。

結局用意した料理を食べることなく、みんな諦めて帰っていった。

その日はお店も貸切で他のお客様の来店予定もなかったため、早々に片付けをした。

妹と食べるために、手をつけていない料理をタッパに詰め持ち帰った。

ホストクラブ

僕がホストで働くキッカケになったのも、この居酒屋だ。

男性客だけで5人程やってきて、少し声は大きかったが誰に迷惑かけるでもなく、とても楽しそうに飲んでいた。

「すみませーん!」

その集団に呼ばれ、席に向かう。

「近くにタバコ屋あります?」

「ありますよ!よかったら、今お店落ち着いてるので買ってきましょうか?」

という僕の何気ない一言に、その場の男性客から好印象を持たれた。

「自分めちゃくちゃ気がきく!!」

「いいねーー!!!」

嬉しかった。

一通りの銘柄を聞いて、ダッシュで買いに行く。

先輩と後輩 = 神様と奴隷

野球部の環境で育ってきた威力を発揮する瞬間だ。

予想以上に早く買ってきたこともあり、余計に気に入られた。

その時はお世辞と捉えていたが「うちで働きなよー」と言われ、”神様”に褒められると嬉しい習性が出てしまった。

それから2ヶ月。

来店がなく、早上がりした日の事だった。

「妹にご飯でも」と思いながら弁当を買って帰る。

家に着いたら何やら話し声。深刻そうな声に耳を傾けると、母親が親父と電話していた。

「支払いが追いつかない」

「仕事を増やして」

そんな話だった。

聞いてしまった以上何かしら行動しないといけない。

僕は夜10時以降雇ってくれるところを探す。

しかし、軒並み断られてしまった。

高校生は夜10時以降働いてはいけないからだ。

僕は100件近く飛び込みをしたが、結局どこも雇い入れてはくれなかった。

(これだけ飛び込みしても、無理と言われたらどうしようもないか・・・)

そう思っていたある日、僕はカウンターのお客さんに頼まれタバコを買いに外へ出た。

そこで、たまたま客引きしていたホスト集団に遭遇する。

「あっ!君は先日居酒屋で働いてた!」

以前お店に来られた集団の男性客だった。

元気に挨拶をすると

「やっぱり君いいねー!うちで働きなよ!」

突然の提案を受ける 。

「今の居酒屋にはお世話になっているので・・・」

そう返答したが

「うちは朝までやってるから、居酒屋が終わってから来なよ 」

願ってもなかった。

僕が高校生であること、”ホストという仕事”のこと、これらを少し話し合い、一旦返事の保留を伝え料亭にもどる。

タバコを買って店に戻り、お客様に少し遅れた理由を謝罪しながら、ホストにスカウトされた話をする。

カウンターに座っているお客様は、そこまで常連ではないが 月1は来る30代後半の女性だった。

「いいじゃない!賛成!私、飲みに行くよ!」

「ありがとうございます。ただ、スーツ持ってなくて・・・。」

僕が恥ずかしそうに言うと、

「私に買わせて!応援するから!」

「えっ?でも・・・」

「いいのいいの!明日買いに行きましょう!」

「本当ですか?!ありがとうございます!!」

そんな調子でスーツの心配はなくなった。

トントン拍子で働くことも決まり、週末から出勤する。

ホストクラブというと、隣に女性を置いて、ただただ楽しそうに酒を飲む。

と思っている人も少なくないだろう。

そんな甘い世界ではない。

  • グラスの水滴
  • 灰皿交換のタイミング
  • タバコの火付け
  • 酒作り
  • コール

という細かい目配りと気配りが大事。

そして

  • 掃除に
  • 皿洗い
  • そして日中の営業

やる事はめちゃくちゃ多かった。

上下関係や目上の方との接し方、野球部である程度は”出来ている”と思っていたが、社会ともなるとまた一段と違う。

ましてやホストクラブとなると尚のことだ。

非現実的な時間を楽しく過ごしていただく。とても難しい仕事だと思った。

それでも僕は”1番若い”を武器に可愛がられた。

同業者のお店にも、よく飲みに行った。

キャバクラ
スナック
クラブ
同業のホスト

色々な人にお世話になった。

学校との両立は大変だったが、あたらしい世界は自分の中でとても新鮮だった。

こんな俺でも、話したい、一緒にいたい、そう思ってくれる人がいる。

家の中にはない、一家団欒がそこにあったのかもしれない。

居心地がよかった。

ただ、2ヶ月も働くと慣れてくる。

僕自身、お客様も増え少し有頂天になっていた。

第三章

仮面のきっかけ

若いという武器は使える。ただ、お客様を抱く事はしなかった。ある事が起きるまでは。

ホストの先輩に、昼はアクセサリーショップを営んでいる人がいて、僕はよくそこへ遊びに行っていた。

何をするわけでもなく、ただぼーっと過ごしていた。

そんなある日、衝撃が走る。

たまたま近所の喫茶店に、先輩と昼食に行った時だった。

僕はウェイトレスの女性に一目惚れしてしまった。

それまでの人生、そんな事は一度も無かったのに、食事が喉を通らないほど僕はその人にハマってしまった。

どうにかやって話がしたい。

それからの僕は、学校へ行く回数が減り、先輩と一緒に喫茶店へ行く頻度が増える。

その女性とは少しずつ話をする様になり、バイト先の居酒屋やホストの店まで来てくれる様になった。

そして、

「ねぇ、今度2人でデートしよっか?」

この一言を聞いた時、体が震えたのを覚えている。

デートまでの期間『これでもか!!』というくらい店を調べ、『そこまでやる!?』というくらい服を選んだ。

それくらい僕の心を動かす人だった。

デート当日は楽しかった。食事にカラオケ、バーに居酒屋。

そして夜中0時を過ぎた頃、

「ねえ、うちに来ない?」

心臓が飛び出るかと思った。”そーゆー事”だと。

中学生から女性と付き合ったことはあったが、相手の家に行ったことはなかった。

生まれて初めて訪れる女性の家。

緊張の連続だった。

「とりあえず何か作ろっか?」

(とりあえず・・・)

期待がピークだった。

彼女が食事を作るあいだ、壁に飾られた写真を何気に見ていた。

そして、僕の背筋は凍る。

30枚近くある写真で、友達と写っているものが多かったが、

なんとその中に

ホストクラブの先輩とツーショットで写っている写真があった。

しかも一目で “付き合っている”と瞬時に理解できる写真だった。

ショックすぎて、頭が真っ白になった。

それからあまり記憶がない。

出された料理を急いで食べ、『ゆっくりしていきなよ』という彼女の言葉を聞かず、すぐに家を出てタクシーに乗った。

はっきりと覚えていること。それは、僕の中で何かが崩れる音が聞こえたことだ。

以来、僕は女性を女性と見なくなった。人でもない、”金”だ。

同伴
アフター
逆援助交際

金と引き換えに何でもやった。

18歳という武器を使い、年上女性を落としまくった。

優しくしているフリ
気遣いをしているフリ
思いを寄せているフリ

やり過ぎた事もある。

年上の女性を本気にさせてしまい、家族に紹介された事もあったし、バツイチのスナックママが自分の息子に、「私の彼氏で、あなたのお父さんになる人」 と言って、店に息子を連れてきたこともあった。

その息子は僕より10歳以上年上だった。

ただ、申し訳ないという気持ちはなかった。

どうでも良いという気持ちの方が強かった。

とにかく金と引き換えに抱きまくった。

“仕事だ”と、自分に言い聞かせることも必要ないくらいに。

赤いローソク

看護師、同業者、女性経営者に普通の主婦

“やさしさ”という”振る舞い”と、体を売る。

相場は1万円から5万円。

看護師や女性経営者は羽振りが良かった。

身体だけではなく、食事にショッピング、映画など、 “寄り添う”営業もやった。

結局のところ、最初は一目惚れ女性のせいにしてめちゃくちゃにしていたが、そうも言ってられない程家の財政は厳しかった為、女性に対しあやゆる事での金策を行っていた。

寒さが少し出てきた秋頃、来年度からの就職先も決まり、日頃のバイトに磨きがかかる。

ほぼほぼ学校へも行かず、ひたすらにバイトをする。

荒れ狂った様に酒を飲み、アフターではホテル。

小遣いを貰っては飲みに行く。

そんな毎日だった。

女性に対して演じる事に徹底した。

非日常が好きな女性に対し、高校生なりに演技をする。

ドS、ドM、甘えキャラに、ツンデレキャラ。

当然ホテルでも最高の振る舞いをする。

高校3年生にしてローソクの経験もした。

赤いローソクと白いローソク、見た目は赤が熱そうだがそれほどでもない。

白は熱い。

両手両足を縛られ、目隠しをされる。

耳元で囁かれながら、溶けた赤いローソクが、身体の火照った部分を更に熱くさせていった。

ワリキリとは言え感情が入らない訳ではない。

行為に長けた女性の技に、正直ハマっている自分がいた事も事実だ。

そこを見透かされ、更にエスカレートする女性。

内心楽しみながらも、更に演技という感情を込める僕。

需要と供給。

会った瞬間から、ドラマが始り、求める者と、求められる者が、薄暗い部屋の中で狂ったかのようにむさぼり合った。

ホテルの扉を開け、部屋に入った瞬間に人が変わる。

性格のドギツイ女社長が急に甘えまくり、普段優しい女性がドSプレイヤーに変身する。

現実と非現実の狭間を、ホテルの扉が役割を果たす。

そこに僕がいて、日替わりで毎回違う女性がいる。

もう1人の自分を演じないと、とても耐えることが出来ない。

第四章

戦争

3学期になると、ほぼ学校に行かなくて良かった。

毎日毎日店で酒を飲み、昼間はずっと女性の家で寝ていた。

看護師の家が比較的多かった気がする。

自分の家には帰りたくなかった。

妹に姿を見せたくなかったし、祖父と顔を合わせたくなかった。

僕の幼少期を少し。

父方の祖父は陸軍隼航空隊の整備兵、母方の祖父は海軍の元特攻兵でゼロ戦乗りだった。

あと終戦が2ヶ月遅かったら、祖父は特攻兵としてこの世からいなくなっていた。

それは僕自身が存在しなかったかもしれないということだ。

終戦後、次男だった祖父が家に帰るも

『お前は誰だ。息子はお国のために死んだ。お前なんか知らない』

と、家に入れてもらえず、祖父は歯を食いしばってひとりで生きてきたそうだ。

とてもやるせなかったと思う。それでも祖父はたくましく生きてきた。

母方の祖父は長生きをした。

が、僕が戦争の話をちゃんと聞いたのは一度だけだった。

当時小学六年生だった僕にはあまりにも衝撃的な内容ばかりだった。

祖父が亡くなった後遺品整理をしていると、『当時の写真』『千人針』『航空隊マフラー』が出てきた。

当時の壮絶さもそうだが、祖父の気持ちをもっと聞いておけばよかった。

今となっては、もうちょっと向き合うべきだったと後悔している。

祖母と死

小学校までは”お金に困る生活”、という認識をしたことがない。

父は祖父からの継いだ建築という家業をやり始め、母も経理として手伝いをしていたことを覚えている。

僕は両方の祖母が大好きだった。

母方の祖母は、僕が1歳の時に亡くなってしまいあまり記憶にはない。

しかしながら祖母の顔を見るなり、よく抱っこを迫っていたそうだ。

そして小学校に上がる前、いわゆる幼稚園の年長さんまでは、父方の祖母にべったりだった。

毎朝毎朝、起きては祖母のところに行って、『おはじき』や『折り紙』『毛糸』と、女子みたいな遊びを毎日していた。

いつも優しく味方でいてくれる祖母がとてもとても大好きだった。

そんな祖母が亡くなった。

物ごごろついて、初めて”死”と向き合ったと思う。

お葬式までは耐えていたと記憶しているが、毎朝遊んでいた祖母がいなくなったことを”実感した”とたん、一日中泣いた。

ゴミ屋敷

祖母が亡くなり、家の事を母がやるようになってから、家の中が汚くなっていった。

元々家事が苦手とは思っていたが、とてもじゃないが人が暮らせる家ではなかった。

よくテレビに出てくる”ゴミ屋敷”と似ていて、祖母が亡くなってから3年も経てば、”台所”は異臭を放つ足の踏み場のない場所だった。

小学生になると、よく家の手伝いをさせられたが、数ある手伝いの中でもお皿洗いや食事の用意は苦痛だった。

まず、ありとあらゆる生き物の死骸が多かった。その上、ゴキブリの糞や、ねずみに虫。

安全地帯なんてものはない。

想像してみてほしい。

悪臭に満ちた台所で作ったご飯を、誰が美味しく食べたいと思うだろうか・・・。

『ねぇねぇ、小さい頃、ご飯のおかずに生きた虫がたまに入ってたの覚えてる?でも、それを知らないふりして食べないと、お母さんに怒られてたよね。』

数年前、妹と会食中に妹から言われたこと。

正直色々あり過ぎて覚えてなかったが、虫は日常茶飯事だったのだろう。

とにかくゴミ屋敷に住んでいる自分が嫌で嫌でたまらなかった。

野球

僕は高校3年生までずっと野球をしていた。

何がきっかけで始めたのかは覚えていないが、結構のめり込んでやっていて、小学生の時は県内でそこそこ有名人だったと思う。

(野球できるくらいなら、そこまで貧乏じゃない

もくじ